違法な引き抜き
引き抜きによる損害
会社を退職して、転職又は自ら起業した者が、在籍していた会社の元同僚に対して、転職を勧誘したり、引き抜こうとしたりすることがあります。従業員がそれに応じると、会社には様々な損害が生じます。
- 従業員が退職すると、補充をするために求人広告等の募集の費用が必要になって、採用面接等の時間的なコストも掛かります。また、新規採用者を戦力とするための教育や研修が必要になります。
- 多くの従業員が一斉に退職すると、業務が停滞したり、変な噂が広まったりして、顧客の信用を失う恐れがあります。
- 退職者の業務を穴埋めするために、一時的に過重労働になる恐れがあります。残された従業員のチベーションが低下することも考えられます。
- 競業企業に転職されると、担当していた顧客が奪われて、売上げが減少する恐れがあります。
転職の勧誘や引き抜きは、会社としてはできれば禁止したいものです。
退職(転職)の自由
民法によって、従業員は2週間以上前に会社に申し出れば、退職できることが定められています。従業員は退職の自由が保障されていますので、会社が退職(転職)を禁止したり、制限したりすることはできません。
したがって、退職した者が、「転職先は給料が良いし、将来性もあるから、一緒に働かないか?」と勧誘をして、従業員が退職したとしても、勧誘した者・勧誘された者どちらも非難されることはありません。
また、他社の優秀な人材に良い労働条件を提示して、転職を促すスカウトやヘッドハンティングについても、正当な企業活動と考えられています。
しかし、転職の勧誘が行き過ぎて、違法な引き抜きと認められる場合は、会社は損害賠償を請求することができます。転職先企業と共同して違法な引き抜きの計画を立てたり、転職先企業が違法な引き抜き工作の費用を負担していたような場合は、転職先企業にも連帯して損害賠償を請求できます。
在籍中の引き抜き
引き抜き(転職の勧誘)を在籍中の従業員が行ったのか、退職した者が行ったのかによって、違法性の考え方が異なります。
在籍中の従業員と会社は労働契約の関係にあって、従業員は信義に従って誠実に勤務をすることが義務付けられています。労働契約法で、労働契約の原則の1つとして規定されています。
他の従業員を競業企業に転職させようとする行為は、会社の利益を不当に侵害する裏切り行為(誠実義務に反する行為)と考えられます。在籍中は引き抜き(転職の勧誘)が全て違法となる訳ではありませんが、在籍中に働き掛けたのかどうかは違法性を判断する重要な要素の1つとなります。
また、労働契約法は取締役には適用されませんが、会社法によって、取締役は会社のために忠実に職務を行うことが義務付けられていますので、取締役も従業員と同様に考えることができます。
そして、次のような事情を総合的に考慮して、背信的で社会的相当性を逸脱する引き抜きについては、違法と判断されます。
- 引き抜かれた従業員の地位
地位が高いほど影響力が大きくなりますので、違法性が認められやすくなります。 - 引き抜かれた従業員の人数
会社の規模や組織の構成によりますが、半数を超えるなど一斉に多数の従業員を引き抜かれた場合は、事業の継続が困難になりますので、違法性が認められやすくなります。 - 引き抜きによって生じた会社の損害や影響
損害や影響が軽微な場合は、違法性は認められにくいです。 - 引き抜きの方法
急に退職したり、秘密にして計画的に実行したりする場合は、会社に損害を与えることが目的であったと考えられて、違法性が認められやすくなります。
これらを総合的に考慮した結果、引き抜きが単なる勧誘の範囲内に留まる場合や以前から会社に対して不満があって自発的に退職(転職)した場合は適法と判断されます。その場合は、損害賠償を請求することはできません。
なお、引き抜きに関する最高裁判所の裁判例はなくて、上の考慮要素は地方裁判所の裁判例を整理したものです。
退職後の引き抜き
退職した者による引き抜きについては、労働契約関係を根拠にして、違法性(誠実義務違反)を指摘することはできません。原則的に引き抜きやスカウトは自由ですので、在籍中の従業員が行った場合より、損害賠償請求は認められにくいです。しかし、前述したような事情を考慮して、著しく悪質で社会的相当性を逸脱する場合は、違法性が認められて、損害賠償を請求できます。
また、退職後であっても、不正競争防止法などの法律に違反する行為は、当然認められません。不正に営業秘密を取得したり、営業秘密を使用・開示したりする行為が禁止されています。虚偽情報を利用して勧誘することも許されません。
損害賠償請求額
違法な引き抜きを行った者に対して、会社は損害賠償を請求できますが、従業員は自由に退職できることが前提となっていますので、実際に生じた損害額の一部しか認められないケースが多いです。特に補充をするための新規採用に要する費用の請求は認められにくいです。
また、退職の自由が保障されていることから、引き抜きに応じた従業員に対する請求は、原則的には認められませんが、次の競業避止義務がある者については、例外的に損害賠償請求が認められるケースがあります。
次の条件を全て満たしている場合は、従業員に対して、競業避止義務(競業企業への転職を禁止する義務)を課すことができます。退職の自由を制限するものですので、厳しい条件が設定されています。
- 期間を限定している
- 地域を限定している(業種によって異なる)
- 業種や職種を限定している
- 代償的な手当を支払っていた
- 特別な業務を行っていた
- 約書や就業規則で規定している
ところで、会社を信頼している従業員は、退職した者から転職の勧誘をされても普通は応じないと思います。引き抜きに応じる従業員は、会社に対してそれなりに大きな不満を持っていたと推測されます。特に大量に引き抜かれるケースは、虚偽情報に騙されたりしない限り、そうでしょう。
サービス残業を強要している、賃金が低い、仕事の裁量がない、成長できない、経営者が公私混同している、不満の原因は様々です。容易ではありませんが、不満を解消して信頼関係を構築することが引き抜きに対する最強の予防策です。
(2025/4作成)